専門家が考える日本のスポーツ界におけるメンタルヘルスのありたい姿

2021.10.04専門家インタビュー

最近、日本でも注目を集めるようになったアスリートのメンタルヘルス。今回、ジャパンラグビートップリーグ選手のメンタルヘルスの調査結果をご紹介。科学的根拠をベースにアスリートのこころのサポートを目指す、国立精神・神経医療研究センターの小塩靖崇さんに日本の現状から調査結果、そして支援への熱い思いを聞きました。

小塩靖崇 プロフィール
子ども・若者のメンタルヘルス教育を専門にする研究者。人々が健康かつ幸せに育つ社会を目指して、研究と実践の橋渡しに取り組んでいる。日本ラグビーフットボール選手会(JRPA)と共に進める、日本スポーツ界におけるメンタルヘルスケアのあり方を考えるための研究プロジェクトの研究代表者。国立精神・神経医療研究センター 精神保健研究所 地域・司法精神医療研究部 研究員(教育学博士, 看護師保健師)。

―日本におけるアスリートのメンタルヘルスの現状について教えていただけますか。

小塩
テニスの大坂なおみ選手が「うつ」に苦しんでいたことを告白し、四大大会の全仏オープンを棄権したことはまだ記憶に新しいのではないかと思います。トップアスリートは強じんなメンタルを持っているように思われている節があるためか、これまで日本でアスリートのメンタルヘルスについて、詳しい調査はありませんでした。しかしアスリートも私たちと同じ人間であり、同じくメンタルの不調に悩まされるのは当然のことです。

―ちなみに小塩さんは、科学的根拠に基づいたメンタルヘルスの支援策を開発するため、まずは実態を把握するために調査を実施されたんですよね。

小塩
はい。今回、日本ラグビーフットボール選手会との共同で、ジャパンラグビートップリーグの男性選手を対象にメンタルヘルスの状況について調査(登録選手600名のうち251名が参加[回収率は41.8%]。2019年12月~2020年1月に実施)しました。なお、回収率の41.8%は、国内のメンタルヘルス調査としては平均よりやや高い数値です。

強じんな肉体で果敢にぶつかり合うラグビー選手たちの姿からは、メンタルの不調から程遠いように思えますが、この調査からトップアスリートたちが置かれた深刻な状況がみえてきました。


13人に1人(7.6%)の選手が死を考えたことがある

―ラグビー選手は屈強な肉体のイメージからか、精神的にもタフなのかと思っていましたが……。

小塩
そうですよね。でも実際に42.2%と半数近くの選手が調査の過去1カ月間でメンタルヘルスの不調を感じているという結果が出ました。それでは、調査結果を詳しく見ていきましょう。

過去1カ月間に1~3に該当すると回答した人の割合は以下の通りです。

  1. 何らかのメンタルヘルス不調を感じた……42.2%(106人)
  2. 専門家の支援を必要とするうつ・不安障害の疑い……10.0%(25人)
  3. 過去2週間の間に希死念慮※を抱いた ……7.6%(19人)

※希死念慮とは、自分の人生を終わらせることを考えること

―希死念慮(きしねんりょ)という言葉を初めて知りましたが、7.6%の選手が“死”を考えるほど追いつめられているということに驚きました。

小塩
案外、多いという印象でしょうか。このことからも、いろんな人、私のような研究者や監督、トレーナーたちが手を取り合って、選手をしっかりとサポートしなければならないということはご理解いただけると思います。

ちなみに国際オリンピック委員会などからこの数年で、メンタルヘルスに関して少なくとも7つの声明が発表されています。これら声明は、数ある調査研究知見をもとにしていますが、残念ながら欧米諸国やオーストラリアのものがほとんどで、日本の研究は含まれていません。

【声明の内容を一部抜粋】

  • 「アスリートのメンタルヘルス不調の経験は珍しくない」
  • 「メンタルヘルスは競技パフォーマンスに影響がある」
  • 「身体の不調と同様に早めの気づきと適切な対処が大切である」
  • 「メンタルヘルスは、回復可能である」
  • 「アスリートのためのメンタルヘルス支援策の整備が急務である」

出典/Reardon CL, Hainline B, Aron CM, et al. Mental health in elite athletes: International Olympic Committee consensus statement (2019). Br J Sports Med 2019;53: 667–699.


遅れている日本。今後、体系的な整備が急務

―今後、日本ではアスリートのメンタルヘルスにどのように取り組んでいけばいいのでしょうか。

小塩
海外では以前から注目されてきたアスリートのメンタルヘルスですが、先ほどお話したように日本では研究がまだまだ進んでいません。日本の場合、個人やチームレベルなどの個別でメンタルヘルスケアは実践されていますが、体系的な整備には至っていない状況です。

ちなみに今回の調査では、メンタルヘルスの不調者の割合だけでなく、その要因はどこにあるのかについても調査をしました。

その結果、何らかの不調を抱える選手は、不調のない選手と比べてみると、高い割合の選手が上記のことを経験、ないしその状況に変化があったことが示されました。ただ、これらの経験や変化と何らかの不調についての因果関係はまだ明らかではありません。今後、日本のアスリート全体の傾向をより正確に把握するためには、ラグビーだけでなく、他競技のアスリートはもちろん、(今回の調査は男性だけ)女性アスリートにも協力いただき、同様の調査を実施することが必要です。

―スポーツの特性や性別などによってもメンタルヘルスの状況が異なるのかを調査しないといけないということでしょうか。

小塩
そうですね。本調査への回収率(41.8%)はメンタルヘルス調査としては低くはないものの、さらに回答者が増えれば、全体像を正確に把握することに役立ちます。

それにもっとデータが集まれば、科学的根拠に基づいたメンタルヘルスにおける最適な支援策を打ち出すことが可能になります。ですから、私たちは今回の調査にとどまらず、さまざまな競技に調査を広げたいと考えていて、アスリートはもちろん、研究者、トレーナーなど、関係者の皆さまのご協力を切に願っております。

―メンタルヘルスという言葉を聞くと、どうしてもマイナスなイメージがあって、周囲には打ち明けづらい面もあると思うんですが。

小塩
メンタルヘルスと聞くと、ある境界線があって、線をこえた瞬間に「心の病」になる、そんなイメージを持っておられる方が多いかもしれません。しかし今回の調査からもちょっとしたメンタルの不調から段階を経て、深刻な状態になっていくというのがお分かりになっていただけたと思います。つまり、ある日突然、心の病気になるのではなく、少しずつ状態が悪くなるのです。白か黒ではなく、心の状態には0から100まで細かいメモリがあるとします。最悪の状態が100だとして、今日、なんだか調子が悪いなと思って、30と捉えることとします。このようにメンタルの状態をアスリート自身、少しずつ細かいメモリで刻めば、今日は早めに寝て、30の状態を改善しようとするかもしれません。

―身体の状態と同じく、心についても当たり前のように毎日、気を付けると意識やイメージが変わるのでしょうか。

小塩
そうですね。アスリートに限らず、それぞれが心の解像度を高めることができれば、メンタルヘルスは決して他人(ひと)ごとではなく、みんなにとって身近な問題として捉えていただけるのではないでしょうか。

つらいことを一人で抱え、耐えるのではなく、信頼できる人と共有し、共に問題解決をして前に進んでいけるようにサポートしたいと考えています。私はこれからもこの「よわいはつよいプロジェクト」という場で、引き続きメンタルヘルスに関する情報を発信していきますのでどうぞよろしくお願いいたします。

―本日は貴重なお話をありがとうございました。


<論文情報>

  • 雑誌名:International Journal of Environmental Research and Public Health
  • 論文タイトル:Anxiety and Depression Symptoms and Suicidal Ideation in Japan Rugby Top League Players
  • 著者:Yasutaka Ojio*, Asami Matsunaga, Kensuke Hatakeyama, Shin Kawamura, Masanori Horiguchi, Goro Yoshitani, Ayako Kanie, Masaru Horikoshi, Chiyo Fujii
  • URL:https://doi.org/10.3390/ijerph18031205

取材・文/松葉紀子(スパイラルワークス) 監修/国立精神・神経医療研究センター 

小塩靖崇